2011年10月11日火曜日

東北感想文

今回、陸前高田市と釜石市箱崎町でボランティア活動をさせて頂き、とても大きく、充実した三日間を過ごすことができました。現地の方々と触れ合い、貴重なお話を聞かせて頂くことで、どれだけ自分が大切な事に関わっているかを改めて理解することもできました。
今まで大阪ではゴミ拾いやハイチ大地震のための募金活動などのボランティア活動をさせて頂いたことはあるのですが、今回のような、実際に現地に行きボランティア活動をするのは初めてでした。正直、「日本の東北地方」、莫大な被害を齎し、たくさんの方々が亡くなられた地方に行くとなったとき、現地で何が起こるか分からないし、自分が行って大丈夫なのか、などと心配事がたくさんありました。複雑な気持ちを持ちながらも、岩手県へ行くバスの中では、みんなでワイワイ盛り上がっていました。2時間盛り上がった末、みんな疲れはてて目は半目。私もこれからの作業のために体を休めました。
長い道のりを経て、遠野まごころネットに着くと、また不安になりましたが、現地で出迎えて下さった桜井さんの笑顔や、他のボランティア活動をされている方々と挨拶をかわしていくうちに、気持ちにもゆとりが出てきたのを覚えています。体育館に入り、荷物の整理、現地に向かう準備をする。つなぎを着て帽子をかぶる。これら一つ一つの行動が大阪での生活からの切り替えの準備だと自分に言い聞かせました。

一日目は陸前高田市でボランティア活動をさせていただくことになりました。「陸前高田」という地名はよくニュースで聞くことが多く、ニュースでよく名前を耳にするということは被害が大きいということであって、そこに足を踏み入れると思うとまた再び緊張が走りました。友達と、「いよいよだね。」と言い、バスに乗り込みました。行きのバスの中では、CRASHという外国の方々が集まったボランティア団体の、横の席に座っていた方と英語でいろいろな話をしました。その方は私たちが遠野に到着する一週間ほど前から違う施設で生活をしているそうで、今回の東北地方のボランティア活動のために、ハワイやカリフォルニアに住んでいる仲間をつれて日本に来られたそうです。バスの中では私がCRASHの皆さんのために通訳をしたり、日本の話をしたりと、とても楽しい雰囲気でした。CRASHのメンバーの皆さんとも仲良くなることができ、一日目の活動はよいスタートをきることができました。
陸前高田に一歩踏み出すと、遠野で見た光景とは全く違い、初め自分の目を疑いました。テレビのニュースでは映像を見たことはあったにも関わらず、実際に自分の目で見たときの衝撃はとても大きいものでした。水田に入って瓦礫撤去をしていると、泥だらけになった子供の片方の靴やビデオテープ、服などが見つかりました。ひとつひとつには思い出が詰まっていたのだなと思い、心が痛みました。

二日目。この日は釜石市箱崎町での活動をさせていただきました。「釜石」という名前も、震災後よくニュースで聞く名前でした。朝のラジオ体操のあとに気合を入れなおして、バスに乗って出発しました。翌日の疲れがまだたまっていなのか、行きのバスの中でも爆睡でした。
バスに乗って1時間10分ほど経過したところで、窓の外を見てみると、状況は一変していました。パン屋さんはつぶれて看板が道路に落ちていて、家屋があったところには基礎部分しか残っておらず、悲惨な情景でした。釜石市ではいろいろな酷い出来事があったと聞き、より一層活動を頑張ろうと思えました。釜石市東小学校、中学校では在校生(その日学校をお休みしていた中学生1人、小学生2人はなくなってしまった。)は全員助かったと聞き、私の学校でももっと避難訓練を強化したほうがいいのではないかと考えました。この日は、個人様宅で、草むしり、瓦礫撤去、石などをどかす作業をさせて頂きました。おじいさんが葡萄を下さったりしました。
この日印象に残ったのは、家屋の壁にある、赤いスプレーで書かれた○と×。この二つの印の意味を聞き、胸が痛みました。この赤印はひとつか二つぐらいしかないと思ったら間違いで、釜石市の家屋のほとんどにこのマークが書かれていました。
朝の朝礼の時に班長さんがおっしゃっていた、{ボランティア活動は、「してあげる。」のではなく、「させて頂く。」}という心を忘れずに作業を黙々と続けました。

三日目。やはり釜石市の印象が強かったのか、この日も箱崎町での作業をさせて頂きました。この日は最終日ということもあり、吉田さんが班長をされている、「めっちゃドッロドロのベッチャベッチャになる作業」を選びました。この作業は個人宅の水路を作る作業で、身体的にとてもハードな仕事でした。しかし思いっきり力を振り絞り、大きな石も運び、右手に三つもまめができるほど、作業に没頭しました。この日も、作業をさせていただいたお家のおじいさんとおばあさんが飲み物やお餅を作って持ってきてくださいました。疲れも吹っ飛び、午後の作業も黙々と行いました。気持ちのいい汗をかくことができました。

このような充実した三日間を経て考えたことは、ボランティアの輪をもっともっと、広げるということです。SOISの生徒と教員合わせて35人が短い期間のなかで必死に作業をしても、できること、場所は限られてきます。遠野まごころネットの班長さんも、「今は連休中だからこんなにも活動をしてくださる人は多いですが、これが平日となると半分以下に減ります。だからもっとボランティアをしてくださる方々がほしいんです。」とおっしゃっていました。私もその通りだと思いました。丁寧に作業はしなくてはならないけど、やっぱりスピードも肝心。一人でも多くの被災者の方々が喜んでくだるには、人手が必要だと私は考えます。ただ東北に行って作業をするのではなく、次につなげる、周りの人に今の被災地の状況を伝えてボランティアの輪を広げる、までが「ボランティア活動」だと考えています。また機会があれば、今度はもっと長い期間向こうに滞在して活動をさせていただきたいなと思いました。 10年 S

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