2011年10月11日火曜日

東北ボランティア

1日目、陸前高田。
陸前高田に着いて1番初めに思ったことは、6カ月もたったのに、まだこの様な状態なのかということです。テレビでもyoutubeでも何度も被災地の様子を見ていたけど、どこか他人事のような気持ちがありました。しかし、実際にその地を訪れると、多くの家庭用品やお店の商品、女の子の制服のスカート等が出てきて、ここで暮らしていた人は助かったか、大切な写真や思い出の品が少しでも多く見つかったか、とても心配になったと同時に、"東北の人々"ではなく、個人単位で、被災者を考える様になりました。2時すぎで時間の止まったままの時計を見たときは、その瞬間を強く感じとることができました。私たちが活動したあの狭い範囲と、短い時間だけであんなにたくさんのがれきが出てきたことに驚きました。帰りのバスでは隣に座っていたベテランの方が色々なことを教えてくださいました。さらに途中の休憩でその方が、陸前高田の写真集を購入して見せてくださいました。その写真集には、地震以前の陸前高田と地震後の陸前高田を比較している写真や、津波発生時の30秒ごとの写真が載っていました。活動場所、バスで通った場所の以前の写真をみることは私にとってかなり衝撃的でした。シャワーを浴びている最中、今地震がきたらどうしようと突然心配になりました。また、就寝後のあまり大きくない地震が起きたときも、今度はもっと大きい地震が起きたらどうしようと不安になりました。その時、東日本大震災を体験した人は、毎日もっと多くの恐怖の中で生きているのだと気付きました。

2日目、大槌。
大槌では、水路で作業しました。作業現場に着いてすぐは、この水の中からはそんなにゴミやがれきは出てきそうにないなと思っていました。しかし作業を始めてすぐに、漁業の紐、家屋の一部であろう木材、発砲スチロール、とにかくさまざまなものが出てきたので驚きました。さらに水路を渡って上へいくと、もっと多くのものが出てきました。新聞や、お坊さんが首にかけているもの、つりざお、ドラム缶などがありました。私は、作業中、ただ作業するだけではなく、一つ一つ出てきたものをみて、なにに使われていたものなのか考えるようにしていました。それでもやはり跡形がなさすぎて、どんな地区だったのか想像しづらかったです。作業現場の近くにあった選挙家屋の様な建物は傾いていて、中もぐちゃぐちゃで衝撃的で、大槌の中で特に脳裏に焼き付いている様子です。

3日目、釜石。
私の中では、3か所の中で釜石が1番印象的でした。車中からみえる光景は、小学校の校舎3階に乗用車がささっていたり、ガードレールがまがっていたり、写真に撮らなくても一生忘れることのなさそうな光景を目にしました。今まで行政の支援があまり受けられず閉鎖的だったことを聞き、つらい気持ちになりました。時には、効率よりも、地域の方々の気持ちを優先したいというまごころネットの隊長さんのお話を聞き、個人宅の瓦礫撤去の際は、そのお家の方の気持ちを考えながら作業しようと思いました。閉鎖的だったと聞いたあとに、90代のおじいさんが二度も差し入れを下さったり、進水式のお餅まきに招待して下さったり、炊き出しをして下さったり、とてもうれしかったです。そのような交流を経験できたのも、今までのボランティアの方々やまごごろネットの方々が、熱心に作業をしてきたからだと思い、私たちも、たった1日の作業ではあるけれど、その関係を崩すことのないように真剣に取り組まなければならないと思いました。

全体
どれも夢中になったころに1日が終わってしまい、残念でした。特に地域の人との関わりがあった釜石は、きれいにしたい気持ちが強く、復興するまでずっといたいと思ってしまいました。全体ミーティングで言われた、ボランティアはしてあげるのではなく、させていただくという言葉は常に頭の中においておこうと思います。今度は、もう少し長期で行って、仮設住宅を廻ったり、カフェのお手伝いをしたりしてみたいとも思いました。高校生で被災地ボランティアに行くことを受け入れてくださる団体はとても少なく、家族の了承もなかなか得にくいので困っていました。そんな時に、学校から被災地へボランティアに行くことを企画してくださった先生方に本当に感謝しています。また、まごころネット、周りのボランティアの方々、さくらいさんは、私たち高校生の知らないことを丁寧に教えてくださり、感謝しています。お金を出してくれた両親、ボランティアの私たちを受け入れてくれた被災地の方にもお礼を言いたいです。お礼として私にできることを考えたとき、何年後か、東北が以前のように復興したら、また東北を訪れて、世界の人々に、自然がたくさんのたくましい東北を発信したいと思いました。 11年U

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